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歴史2・脚気予防に重用された胚芽米精米機

日清・日露戦争を経た大正から昭和にかけて、兵士達の間で急増した「脚気」という病気がクローズアップされていた。原因は白い米ばかりを食べるために起こったビタミン不足だった。そこで1928年(昭和3年)に東京大学医学部の島薗順次郎教授が、脚気病対策のために胚芽米食を提唱した。そのころサタケに入社した、後の二代社長・佐竹利彦は、この胚芽米に注目していた。そして父・利市とともに胚芽精米についての研究をし、1930年(昭和5年)に横型研削式胚芽米搗精機を完成させた。

従来の精米機ではそれぞれの米が自由に動くため球状に削られ、それが酒造用には適していた。この胚芽精米機は米を一定方向に整列させ、棒状になるようヌカを削り取る仕組みになっている。だから米を削る砥石が胚芽部分に当たることなく、胚芽を完全に残した状態で精米できた。開発された後、従来の精米機はすべてこれに切り替えられていった。利彦、弱冠20歳の発明だった。

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