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歴史3・パールマスター精米機、アメリカ上陸

第2次大戦後も、精米機の改良・開発は粛々として続けられた。世に出された製品はことごとく爆発的な人気を呼び、飛ぶように売れた。日本国内はもとより東南アジア諸国でも、戦前に持ち込まれた佐竹式精米機の優秀さが忘れられず、戦後は平和の使者として全域に進出していった。今でも精米機のことを指して「SATAKE」と呼ぶ国があるほど、である。

そして1955・56年(昭和30・31年)には、それまでの集大成とも言うべき画期的な精米機が相次いで開発された。業務用のパールマスター精米機、農家用のワンパス精米機である。時代を先取るシンプルな構造と優秀な機能が高く評価されて、共にグッドデザインに選ばれている。利彦は、これをなんとしてもアメリカに輸出したいと思っていた。しかし当時アメリカではメイド・イン・ジャパンは粗悪品の代名詞であったし、日本製の自動車、バイクもまだ輸出されていなかった。カタログを持ってアメリカの大農場主、輸入商社を駆け回り必死に売り込んだが相手にされない。そこで実物を持ち込んでの公開実験に踏み切った。

並みいるアメリカ人の注視を浴びながら、ピカピカに精米された白米が瀧のようになだれ落ちる。それを掌に受けた農場主の一人が叫んだ「信じられない!」。 3人、5人、10人の客達の手が伸びた。米を掴み、握って、掌に転がした。拍手と歓声が沸き起こった。それから3年、アメリカ全土のほとんどの精米機が、パールマスターに置き換わった。

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